豊田三郎画伯受賞記念展に寄せて
「杉林の多彩な魅カ」 福井新聞社代表取締役 吉田耽介
”山陰に人材あり”と言われますが、豊田さんは、まさに、その言葉がピーツタリの人だろう。美術専門学校を出て以来、教職に就き、また福祉関係のお仕事にたずさわれる傍ら、今日まで、70年余りにわたり、ひたすら画業に打ち込んでこられた。しかも、美山町東河原を一歩も動かず、一貫してふるさと美山の「杉のある風最」を描いてきました。秀れた風景画家は大勢いますが、豊田さんほど、筆一本のアカデミックなタッチで、ふるさとの山や自然を描いている画家は、極めて少ないでしょう。その画面から、四季折々の杉林の豊かな表情や輝きが温かく伝わってきます。杉林の多彩な魅力を改めて感じさせてくれます。91歳になられた今も、大きなキャンバスを担ぎ、重い画材をもって、近くの山や川に出かけているそうです。その体力と精神カ、そしてふるさとを愛する情熱には改めて心打たれています。豊田さんの画業は海外では高く評価されていますが、まず、県内で一人でも多くの人たちに作晶を鑑賞していた準きたいと思います。そしてふるさとの白然の美しさを再発見してほしいものです。
むさび会員弁護士 河合長志
ここ美山は、古くからの目本の美しい自然と形に満ち満ちております。豊田三郎先生の数々の絵の中には、その美しい白然が芸術として再現されており、先生の絵の前に佇むむと、そこには、日本の古里そのものを感じ、木々の息使いが聞こえ、川のせせらぎの音も聞こえ、水の淀みの変化に酔い、神秘な空気の中で呼吸している自分を見つけることができて、心からの感動を覚えます。先生の絵は美しいだけではなく、心がこもっており、絵画技法の面からも熟慮されて描かれたものであります。構図の上からみても、そこに描かれている一木・一草・一鳥もその場所を動かすことはできないほど計算され尽くしていることに驚きを感じます。
私は、欧米各国をはじめ多くの外国を旅し、数多くの有名美術館を尋ね、古今の名画家の描かれた絵を数多く鑑賞してきましたが、先生の絵は優れており、殊に山村風景については、世界的にも第一級であると感じております。
先生は、今や世界の豊田というべきであります。私は、このような偉大な先生の同郷の後輩であり、先生の母校である武蔵野美大の後輩であることに幸せを感じております。
「芸術は長し」、先生の描かれた絵は、未来永劫に人々の心に平安を与え、感動を齎すものであることを信じます。
私もひと言 友人 佐々木俊雄
私には正直なところ絵のことは分からないが世の識者が豊田さんを「杉の画家」と呼んでいる。
恐らくそれは間違いない評価だろう。氏の『杉のこと」という随筆の一説に「弥生も更け、卯月を酣わに打ち過ぎる頃新緑また目に清々しき皐月に入れぱいつしか濃緑に染め上げし杉の葉先に緋翠の新芽ふくらみ浸潤の梅雨重くたわわにふふめぱ白緑の珱珞
を垂るる。夏の豊陽に力を蓄え色なお深むみどりはみめぐりの万緑を統べて濃くも豊けし。』と歌っておられるほどだから。
文章は少々難解だが流石である。
山紫水明の大自然の中で一人孤独を楽しみ、杉の精霊と戯れつつ画筆を手に今後も裁が住む里こそ「高志のまほろば」と歌いつつ、足羽川辺を逍遥されんことをひたすら願うのみである。
一生青春 下味見小学校長 増永涼子
私が豊田三郎先生に最初にお会いしましたのが昭和60年5月5日(日)付けの福井新聞紙上。次の言葉が印象に残っています。
「杉を描くとは、親不孝をかけた父といつも一緒にいることと同じで、父の肖像画のつもりで描いています。…少年時代に大きな人間への夢を育ませてくれた、近くの鎮守の森の杉の巨木を描ききるまでまだまだ頑張りたい…。
平成10年4月、下昧見小学校に赴任して間もなく、尊敬しているある先輩から「豊田三郎画伯」を訪ねるようにとのアドバイスを得てアトリエを訪問しました。入った瞬間のカルチャーショックは、今も尚、脳裏から離れません。
それ以来、豊田先生には下味見小学校へ『課外授業」として3回お越しいただき、子どもたちに先輩としての熱き思いを語っていただきました。 ・夢を持ちなさい。
・夢を追い統けなさい。
・郷土の先人に続きなさい。
・ふるさとを愛しなさい。
先生の感性は青年のように若々しくお体も健康そのもので私など恥ずかしい限り・・
美山の美しい大白然が長い年月をかけて育て上げた鎮守の森の巨木にお会いした感じでした。
